小さな生活

(以下、老齢の初段階に入った私の考え・生き方です。これから先の長い若い方々はどうかスルーして下さいませ)
パリの不動産を見ていると、換気扇が無かったり、流しが一つしか無かったりという、信じられない物件が少なくない。
どうしてなんだろう??と長年不思議に思っていたのだが、元々パリのアパルトマンにはキッチンが無かったらしい。
そのために、各アパルトマンから500m範疇にパン屋やカフェがあるというのは、以前、確かに聞いたことがあるが、なるほどそういうわけだったのね、と今頃納得。
最初は、この習慣が腹立たしく、パリの文化は本当に分からんと嘆いたこともあったが、最近では、齢のせいかあまり手の込んだ料理もしなくなって、このパリの昔からの習慣も、まぁ理解出来ないこともないかなと思い始めるようになった。
確かに料理をすると、水道、電気(ガス)、洗剤、労力、時間などの消費・消耗がグンと高くなる。広いキッチンは先ず以って無駄なのは確実だし、大きな冷蔵・冷凍庫も太る一番の原因になるだろう。
子育て中はただただ無我夢中だったが、こうして子育ても終えて、年老いて、ふとこんなことを考えるようになった。
元来、料理はあまり好きじゃないし、手作り派でも全然無いしね。
自分でちゃんと料理をしないと一種の罪悪感みたいなものを植え付けさせられるような社会、世の中であるのは確かだが、特に今の時代、自分に必要じゃなく、興味もなく、好きでもなかったら、あまり無理をしてどんどん嫌いになるよりも、思い切って簡素化してしまってもいいと私は思う。
衣・食・住のうち、今のところ、「衣」生活は大幅に小さくしてうまく行っている。
「住」生活も、生活空間を極力小さくする実験は、先ずパリの自宅で実行中。
次はケベックでも、週末だけ、街中の小さなアパルトマンで暮らしてみることを予定している。
これがうまく行けば、今の家を賃貸バージョンにすることも考えている。
広いもの、大きなもの、手の込んだものなどは、もう私には要らない。
年齢と共に生活の縮小化を考え、実行するのがこれからの課題である。